こんにちは(^▽^)/ 介護ラボのカナです。今日は「社会の理解」の中から『社会保障制度の歴史』について5回に分けて書いていきます。今日は2回目です!
戦後社会と社会保障の基盤整備
Contents
1.日本国憲法と社会保障
1⃣朝日訴訟
2⃣堀木訴訟
2.戦後社会と社会保障の基盤整備
1⃣社会保障制度に関する勧告
1.日本国憲法と社会保障
第2次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法(以下、憲法)が公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施工されました。
憲法は、国家や統治のあり方を定めるとともに国民の基本的人権を定めた国の最高法規です。
社会保障制度も憲法を法的基礎として制定されていますが、なかでも憲法25条が社会保障制度の土台になっています。
- 日本国憲法
- 25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第1項で、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を国民が有することが明記されています。この規定は、「生存権の保障」ともいわれ、基本的人権の中核となっています。
第2項は、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上と増進が国家の務めであることが明記されています。憲法25条に基づいて、その後の社会保障制度の発達や充実が図られていきます。
ただし、憲法第25条にはいくつかの学説が存在し、それぞれの立場によって憲法に求める内容に濃淡がありました。また、憲法25条だけでなく、憲法13条も社会保障の重要な法的基礎であるとされています。
- 日本国憲法
- 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
この規定は「幸福追求権」ともいわれ、それぞれの個人が人間としての尊厳を維持し、主体的な生活や人生を送ることができるよう定めたものと理解できます。
そのため、個人の尊厳の保持と自立支援をおもな目的としている社会保障制度にとって、欠かせない条文であるといえます。
1⃣朝日訴訟
朝日訴訟とは?
生活保護法上、最も著名な行政訴訟です。岡山県津山市福祉事務所長の朝日茂氏に対する保護変更の行政処分に対し、朝日氏はそれを不服とし、当時の岡山県知事に審査請求、厚生大臣に再審査請求の不服申し立てを行ったが、いずれも却下。1956年(昭和31年)当時の生活扶助費月額600円が、健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りるかが問われました。
2⃣堀木訴訟
堀木訴訟とは?
障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止規定の合憲性が争われた訴訟で、原告の姓から堀木訴訟と称されています。原告の女性は、視力障害者であり、当時の国民年金法に基づき障害福祉年金を受給していましたが、離婚後自らの子供を養育していたことから生別母子世帯として児童扶養手当も受給できるものと思い知事に対し請求。しかし、当時の児童扶養手当制度には手当と公的年金の併給禁止の規定があったことから、知事は児童扶養手当の請求を退けましが、原告はこの処分を不服として提訴しました。
2.戦後社会と社会保障の基盤整備
第2次世界大戦(1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年))で敗れた日本は極度の混乱状態に陥ります。戦争によって数多くの人命を失っただけでなく、国土が荒れ果て、国府も大幅に減少しました。
敗戦後の日本は、1952年(昭和27年)までアメリカを中心とするGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下におかれました。GHQは、明治以来の日本の国家体制を強く否定し、その強力な指導力のもとに非軍事化と民主化を推し進めました。
GHQの指示は、「憲法制定」「教育改革」「財閥解体」など多岐に渡りましたが、社会保障制度もその中に含まれていました(SCAPIN775(社会救済)など)。
- SCAPIN775(社会救済)とは?
-
1946年(昭和21年)にGHQが日本政府に提示した覚書であり、公的扶助三原則(国家責任、無差別平等、最低生活保障)がその内容でした。
戦後間もない日本では、失業や激しいインフレーションによって多数の生活困窮者が発生していたため、それに対応すべく生活保護法を1946年(昭和21年)に制定しました。
生活保護法の制定によって、不完全ではあったものの、
- 国家責任
- 無差別平等
- 最低生活保障を原則とする公的扶助制度
が日本に誕生したことになります。
その後、増大した戦争孤児や傷痍軍人等に対応するため、児童福祉法を1947年(昭和22年)に、続いて身体障害者福祉法を1949年(昭和24年)に制定しました。
生活保護法制定後に憲法が公布・施工されたことから、1950年(昭和25年)に生活保護法が憲法に即した内容へと大改正されました。
- 生活保護法
- 児童福祉法
- 身体障害者福祉法
を「福祉三法」と呼んでいます。
福祉三法に加え、1951年(昭和26年)の社会福祉事業法(現・社会福祉法)の制定によって福祉三法体制が整備され、日本の社会保障制度が急速に発達するきっかけとなりました。
日本の社会保障制度(特に公的扶助と社会福祉分野)の発達のきっかけは、敗戦後の混乱に対応するためにあったのです。
この時期には、全国的な衛生問題や栄養不足に加えて、国民病といわれた結核等の感染症の蔓延防止を目的に、公衆衛生の向上に向けた法整備が進められました。
昭和20年代に相次いで制定された、
- 保健所法(現・地方保険法)
- 医療法
- 保健婦助産部看護婦法(現・保健師助産師看護師法)
- 結核予防法(2007年(平成19年)に感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に統合)
- 栄養改善法(2002年(平成14年の健康増進法の交付に伴い廃止)
などがその代表であり、公衆衛生関係の法整備と共に医療機関や医療関係職の確保が目指されました。
1⃣社会保障制度に関する勧告
1950年(昭和25年)には、その後の社会保障制度の構築を進めるうえで基盤となった「社会保障制度審議会の勧告(50年勧告)が出され、社会保障制度を次のように定義しています。
- 社会保障制度に関する勧告
- 社会保障制度とは、疾病負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他の困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥ったものに対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである。
※ 廃疾とは?:(はいしつ)身体障害のこと。回復が見込めない病のことでもある。
社会保障制度に関する勧告に明記されている社会保障制度の目的は経済的貧困に対する生活の保障を中心にしているため、現在の社会保障の目的より限定的な内容となっています。
ここから、当時の優先課題が防貧と救貧にあったこと、そして社会保険制度を中心に租税制度を補完的に使いながら、社会保障制度を整備しようと意図したことがわかります。
また本勧告において社会保障制度を、
- 「社会保険」
- 「公的扶助」
- 「社会福祉」
- 「公衆衛生及び医療」
の4つに分類したことも見逃せません。この分類は、社会保障の分類に非常によく似ています。
つまり、社会保障制度審議会の50年勧告は、日本の社会保障制度のその後のあり方を方向付ける指針になったといえます。
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