こんにちは(^▽^)/ 介護ラボのカナです。今日は「社会の理解」の中から『社会保障制度の歴史』について5回に分けて書いていきます。今日は3回目です!
社会保障の拡充(福祉六法の時代)
Contents
1.国民皆保険・皆年金の確立
2.社会保障の拡充(福祉六法の時代)
3.社会保障の見直し
1.国民皆保険・皆年金の確立
1950年代半ばから、日本の経済成長率は年平均10%を超え、高度経済成長期と呼ばれる時代に入りました。
1956年(昭和31年)の「経済白書」では「もはや戦後ではない」とする宣言が行われ、同年に初めて刊行された「厚生白書」では、「果たして「戦後」は終わったか」をテーマとしています。
「厚生白書」では、国民生活の面でまだまだ復興出来ていない分野が多いことや、1000万人に及ぶ生活保護すれすれの低所得者が取りの残されていることを指摘し、経済成長と並行して社会保障政策を充実させる必要性を強調しています。
当時の日本は現在と異なり、老年人口よりも生産年齢人口が多い時期であったことも影響し、社会保障の重心が生活保護を中心とする救貧から、社会保険を中心とする防貧に移り変わりました。
とくに1950年代後半になると、医療保険が全人口の70%程度、年金保険に至っては全就業者の30%程度しかカバーできていないことが問題視されました。
医療保険や年金保険は社会保障、とりわけ防貧には欠かせないため、急ピッチで全国民をカバーするための法整備が行われました。
その結果、1961年(昭和36年)に、
- 国民皆保険:すべての国民を、何らかの医療保険でカバーした社会保障制度
- 国民皆年金:すべての国民を、何らかの年金制度によりカバーした社会保障制度
の体制が確立されました。
現在の私たちが当たり前に受けている医療や、高齢者の生活を支えている年金が確立されたのがこの時期になります。これ以降、現在に至るまで、医療保険と年金保険は社会保障制度の根幹として重要な役割を担い続けています。
他の『社会保険』記事はこちらから・・・
【公的医療保険の5分類・医療保険給付5種類とは??】 vol.244
2.社会保障の拡充(福祉六法の時代)
1960年代は、国民皆保険や国民皆年金に留まらず、様々な社会保障制度が誕生し拡充した時代でした。
特に社会福祉分野の発展が目覚ましく、
- 1960年(昭和35年):精神薄弱者福祉法(現・知的障害者福祉法)
- 1963年(昭和38年):老人福祉法
- 1964年(昭和39年):母子福祉法(現・母子及び父子並びに寡婦福祉法)
が制定されました。
なぜ、このように社会福祉分野が大きく発展したのでしょうか。
その要因として大きなものが2つあります。
- まず1つは、高度経済成長によって財源が豊富であったこと
- もう1つは、高度経済成長が目に見える形で福祉問題を顕在化させたこと
です。高度経済成長期は産業構造に急激な変化をもたらし、農村から都市部へ人口が流入する都市化が急速に進みました。都市部で行われた工業生産などが大量の労働力を必要としたからです。
高度経済成長は国を豊かにし、国民の生活水準を急激に高める源となりましたが、その反面、様々な福祉問題を目に見える形で発生させました。その代表が、高齢者、福祉、母子の問題です。このような福祉問題への対応として、
- 高齢者福祉
- 障害者福祉
- 母子福祉
が発展することになりました。
福祉三法に「精神薄弱者福祉法」「老人福祉法」「母子福祉法」を加えたことによって、社会福祉分野の主要な制度が整備されることとtなり、福祉六法体制が確立されました。
1970年代に入ると、児童手当法(1971年(昭和46年))が制定され、さらに老人医療費無料化(1973年(昭和48年))が実施されるなど社会保障の充実が目指されました。
社会福祉分野の法整備が進んだことや、社会保険制度の給付水準の改善が相次いだことによって、この1973年(昭和48年)は「福祉元年」と呼ばれました。
3.社会保障の見直し
福祉元年として社会保障の充実を図ろうとする矢先であった1973年(昭和48年)10月に発生した石油危機・オイルショックによって、経済成長は一気に鈍化し、日本の高度経済成長は終わりをむかえました。
- 石油危機・オイルショックとは?
-
アラブ諸国が、イスラエル及びイスラエルを支援するお欧米諸国に対抗するために、石油輸出規制を行い、世界的な石油不足と石油価格と高騰をもたらしたこと。先進国の経済に大きなダメージを与えた。
不況や低成長によって税収が落ち込み、1975年(昭和50年)には初めて赤字国債が発行され、1979(昭和54)年度予算では国債依存度が40%程度にまで上昇しました。それまで良好だった国の財政バランスが数年間で急激に崩れてしまいました。
このような経済状況のもと、「増税なき財政再建」のため、1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(第2次臨調)が設置され、活発な議論が行われました。
第2次臨調では、社会保障制度について見直しが行われ、社会保障関係の予算についても厳しく抑制する方向が示されました。
その結果、1982年(昭和57年)の老人保健法(現・高齢者に医療の確保に関する法律(高齢者医療確保法))の制定によって老人医療費無料化が廃止され、1984年(昭和59年)には健康保険法の改正によって費用者本人にはじめて1割負担が導入されました(以前は定額負担)。
この時期以降、現在まで社会保障の費用を抑えようとする費用抑制政策が常に社会保障全体を取り巻くことになりました。
今回はここまで。明日は介護保険と社会の考え方の変化について書いていこうと思います!!
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