こんにちは 介護ラボ・kanalogのカナです。今日は・・・
自分、そして他者という人間関係について
Contents
1.自分を形成する2つの要素
1⃣先天的要素
2⃣後天的要素
2.自分を理解するとは
1⃣自分のことを認識する
2⃣他者との関係を認識する
3.他者を理解するとは
1⃣他者として認識する
2⃣自分との共通性と違いを認識する
1.自分を形成する2つの要素
1⃣先天的要素
自分という存在を作り上げている1つの要素に、生物としての遺伝子があります。遺伝子は私たちの体型や肌の色などを決める、生物学的な構造や機能の設計図と言えるものです。もちろん私達人間同士の遺伝子の違いは、生物の遺伝子全体から見たらごくわずかな違いにしか過ぎないのですが、それでも見た目でも認識できるほどの違いが生じています。
私たちの遺伝子は、両親から受け継いだものであり、両親の遺伝子はまたその両親から受け継いだものであるということになります。私たちの遺伝子は人類の辿った歴史を受け継いでいるものであり、それは生物の始まりから受け継いでいるものであるとも言えます。
そのような意味で、私たちは過去に生きていた様々な他者との繋がりを持った存在であり、その他者から何らかのものを受け継ぎ、その影響を受けている存在であると言えるのです。
2⃣後天的要素
私たちは、生まれてきてから様々な環境の影響を受けて成長し、自分を作り上げていきます。
例えば、私たちは生まれた国の言葉(言語)を自然に話すようになりますが、それは生まれた国でその言語を聞きながら暮らす中で言語を獲得していくのであって、初めから特定の言語を話すよう脳の中で準備されているわけではないと考えられています。
進化の過程で、自分の暮らす環境の中で周りの人達が使っている言語を、生まれてから比較的早い時期に獲得するという能力が私たちの遺伝子の中に組み込まれているといえます。
また日々の暮らしの中で、
- 「自然的環境」
- 「社会的環境」
- 「物理的環境」
などの要素が、私たちの考え方や行動に影響を与えています。
周りの人とのふれあいや自らの経験などを通じて、多くの知識や能力を獲得し、自分の考え方や価値観、関心などといったものを積み上げて、自分らしさ、個性というものを自分の内に形成していきます。
このように私たちは誰もが生まれながらの先天的な要素と、生まれた後の後天的な要素の両方に影響を受けながら、自分という存在を形成してきたということができます。
2.自分を理解するとは
1⃣自分のことを認識する
私たちは、成長の過程で「自分が自分であること」「自分が他者とは違った存在であること」をいつの間にか意識するようになります。このことを『自我が芽生える』と表現しています。
自我は、一般的には「認識・感情・意志・行為の主体としての私を瓦解や他人と区別して言う語。意識や行動の主体を指す概念」と説明されています。
つまり、周りの環境や他者とは区別されている私という存在のこと、私をいう意識をもって行動している私自身のことを指しているといえます。
自我が芽生え、他者との違いを意識するようになっても、それだけでは自分自身がどのような人間かを理解するのは難しいことです。
それは、自分には様々な側面があり、それが複雑に絡み合い絶えず変化しているからです。
外見的にあらわれるものは、比較的認識しやすいのですが、内面は行動などの見える形になってようやく理解出来るようになるといえます。
様々な方法で実施される心理検査も、人間のこころの一側面を映し出していますが、それで自分の全てが理解できるわけではありません。
人間の内面は、内省することによって朧げにわかってくるものなのかもしれません。また私たちには、認識、意識していない無意識の領域があり、それも自分の一部であると言えるのです。
2⃣他者との関係を認識する
私たちは、他者とのかかわりなしに生きていくことはできない存在であるといえます。それは生まれたときの状態を考えればわかります。誰かから食べ物を与えられなければ、自分から食べ物を求めて体を動かす事すらままならない状態で生まれてきます。
絶対的に他者に依存したところから、私たちの人生は始まると言っても過言ではありません。
但し、そのような状態にあって私たちは「泣く」という手段を通じて、他者に自分の意思を伝えようとしています。そこから人間関係とコミュニケーションが始まっていると言えるでしょう。
私たちが生まれてきてから様々な経験をしていく中で、他者とのかかわりは自分を形成するとても大きな要素となっています。現代社会では、家族や日常的に触れある身近な人間ばかりではなく、書物や映像などの様々な情報を通じて間接的に多くの人々と出会い、ふれあい、何らかの形で他者と関わりを持ちながら生きているのです。
そして、他者から有形無形の様々な影響を受けながら、その人達との関係の中で自分を理解しようとしてます。
他者とふれあい、他者の言動を見聞きし、自分と比較することによって、自分と他者のどこが違うのか、自分の特徴や自分らしさとは何かということについて考えることが出来ます。
また、私たちは自分についての様々な情報や評価を、他者から得ることができ、得ようとします。自分が他者からどのように思われているかをまったく気にしない人などいないと言ってよいでしょう。
私たちは、自分の見方を通して自分(私)を捉えています。
他者は、他者の見方を通して私を捉えています。
当然自分と他者とでは私のとらえ方が違います。それらを総合的に捉えながら、私たちは自分を理解しようとしています。そのため、「自分を理解する」ことと、次に述べる「他者を理解する」ことは相互に関連するものと捉えることが重要になってきます。
3.他者を理解するとは
私たちは、どのように他者を理解しようとしているのでしょうか??
1⃣他者として認識する
私たちは、自分の外側にあるものについて、様々な感覚器から情報を得て、脳でその情報を処理し、それまでに蓄積された情報と照らし合わせながら認識をしています。
他者を理解する場合にも、まずこのようなプロセスを経ることになります。まず比較的距離が離れた状態では、目(視覚)や耳(聴覚)を通じて情報を経て、他者を認識しています。また状況によっては、より近付き触れ合う(触覚)、匂いを嗅ぐ(嗅覚)ことによっても情報を得ています。
しかし私たちは、目に映ったものや聞こえたものによって他者を認識するだけでは、他者のことを深く理解できていないと考えています。
目に見えないもの、耳に聞こえないものの中にも、他者を理解するために必要なことがあると考えています。それは人間には、自分の内面にある感情や思いなどがあり、それを必ずしも目に見える形で表現したり伝えたりするわけではないという、私たちのコミュニケーションのあり方を知っているからです。
このように、私たちは、外側と内側の両面から、他者を理解しようとしているのです。
2⃣自分との共通性と違いを認識する
私たちは、自分と他者が違った存在であることを認識しています。単に、身体的に異なる存在であるということだけではなく、他者は自分とは違った様々な要素を持っていると理解しているのです。
しかし、それと同時に私たちは、他者にも自分と共通する要素があることを認識しています。他者を理解しようとするときに、私たちは、自分と同じ要素と違った要素の両方を把握しようとしているといえます。
そして私たちは、無意識のうちに、自分と他者を比べるということをしているのです。自分と他者を比較し、自分と同じところはどこか、また違うところはどこかということを常に考え、他者を理解しようし続けていると言えるのです。
また私たちは、他者を認識する際に、自分なりの見方をしているということが出来ます。私たちは自分と通じてでしか、他者を理解することが出来ません。
他者のことを見たり、聞いたり、考えたりしているのは、自分です。「他者を理解した」と思うことは、自分なりに他者を理解したということであり、「自分流の他者理解である」ということを心に留めておくことが大切になります。
『適応機制』記事はこちらから・・・
【適応とは】適応機制とライチャード・2つの分類 vol.22
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